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【書評】

アンドレ・コント=スポンヴィル著、小須田健/C・カンタン訳

『資本主義に徳はあるか』紀伊国屋書店2006

Le capitalisme est-il moral?

『週刊読書人』2006.9.22. 3頁

評者・橋本努(はしもと・つとむ)

北海道大学大学院経済学研究科・助教授

 

 

「日常生活に役立つ哲学」を提唱してフランスに新たな哲学ブームをもたらした著者の講演集。四つの講演と応答編からなる本書は、資本主義社会の道徳的欠陥について考えるための刺激的な論考だ。

現代社会はグローバリゼーションが進行しているといわれるが、他方で企業経営者たちは「道徳」を語り、左派の若者たちも「道徳」という言葉を口にするようになっている。現代の若者は「ピエール神父」を本気で尊敬し、貧困に対しては「ホームレス食堂」を求め、外交面では「国境なき医師団」のようなNGOに期待を寄せている。しかしこうした道徳的要求によって資本主義を変革しうるのかといえば、それは不可能だ、というのが著者コント=スポンヴィルの主張である。

 いまから四〇年前、六〇年代の若者たちは「政治の季節」を生きていた。ニーチェ的な善悪の彼岸で「打倒道徳野郎、ヴィヴァ革命と自由」と叫び、チェ・ゲバラを対抗権力の英雄としていた。ところが現代人は、「道徳」を志向する。例えば、ボバン著『いと低きもの――小説・聖フランチェスコの生涯』の成功(二百万部)は、その象徴であろう。資本主義に対する現代人の関心は、ますます脱政治的となり、無償のリサイクル活動といった、崇高な精神に基づく倫理的な経済活動に期待をかけている。しかし経済倫理はこれまで、いかなる古典的・哲学的教養にも属さず、したがって美徳たりえないというのが著者の理解である。

 なるほど経済倫理と人格の美徳とは、哲学的に異なるというのは正しい。しかし著者はどうも哲学的教養を啓蒙するあまり、マルクスを読んで資本主義が分かったというような、現実の経済に通じていない知識人のように振る舞っているのではないか。企業経営者を中心とする彼の聴衆たちには受け入れがたいであろう。なにしろ著者は、資本主義は「非道徳的」なものなので、あなたたちは利益追求に徹してOK、しかしその活動は人格の美徳を優位にみなす道徳秩序とは別物です!と言っているのだから。

 ところが本書の面白さは、本書後半の応答編で、聴衆の鋭い批判に応える著者の姿にあるだろう。聴衆は批判する――「私は企業の社長で、雇用を生み出しています。そこに道徳的なものはないのですか。」「資本主義は非道徳的であると言ってしまうことで、あなたは経営者たちをあまりに安易に免罪していませんか。」「あなたが社長で、私に肝心なものは利益をあげることだけだと言ったとしたら、私はあなたのところではたらく気になれないでしょう!」

こうした批判はすべて「もっとも」だと私は感じるが、これに対する著者の応答を読んでいくと、著者は何か経営者たちにメッセージがあるというのではなく、同業左派の知識人や学生たちに語りかけているようだ。ここ数年、フランスでは左派政権が新自由主義政策を推し進め、反対に経済の支配勢力が倫理を語るという、ねじれた現象が続いてきた。こうした状況に鑑みて、著者は、左派政権の現実的な経済政策を支持し、もはや時代遅れの左派(彼らは経済を道徳化しようとする)に抗して、経済における利益追求を徹底せしめよ、と主張する。左派はネオリベラルを受け入れるが、それでもわれわれは「個人の道徳的信条」から左派に一票を投じることができる。なぜなら左派知識人の古典的教養に基づく道徳的優位は、経済の支配勢力がいう倫理とは別物であるから、というのが著者のスタンスである。